本作の原作は、南北戦争が勃発する8年前の1853年に出版されベストセラーとなった、アフリカ系アメリカ人ソロモン・ノーサップの回想録である。この生まれながらの自由黒人だった彼が強いられた、12年間に亘る生々しい奴隷生活が描かれた手記では、従属するとはどういうことかが暴露されている。
1865年まで続いた奴隷制度で、約1100万人のアフリカ人がアメリカ大陸へ渡った。そのうち約40万人がアメリカ合衆国に連行され、彼らの子孫は約400万人にまで増加した。1808年に海外からの黒人輸入が禁止されてからは、奴隷の供給がストップし価格が高騰、ソロモンのような自由黒人を誘拐しては売り飛ばすという犯罪が増加した。奴隷の物語は多々出版されたが、自由黒人から奴隷の身となった経験を記したのはソロモン一人であり、同じ自由な身を持つ人間の体験として誰もが共感できたため、当時大変な反響を呼んだ。
本作の監督スティーヴ・マックィーンは、この原作に出会う前から同様の企画を考えていた。自由の喜びと鎖につながれる苦しみの両方を経験した男の視点から、アメリカ奴隷制度を描きたいと思っていたのだ。この着想を妻に話したところ、彼女がソロモンの回想録を見つけてきた。マックィーンは、この信じられない実話に驚愕したという。「人間が驚くほど非人間的な扱いを受けた注目すべき物語だ。ある男が家族から引き離され、暗いトンネルに引きずり込まれる。ただ、その先には光が見えるんだ」
マックィーンは、ソロモンの物語を今すぐ世界に伝えるべきだと決意。「アンネの日記」と同じく、世界の歴史において重要だと感じたのだ。「観客はソロモンに感情移入し、自分に彼のような勇気と尊厳があるだろうかと考える。物語のテーマは、愛する家族のもとへ帰るという希望だ。希望は過酷さに勝つんだよ」
ブラッド・ピットが、長編映画監督デビュー作を見て、是非次の作品をプロデュースしたいとオファーしたという気鋭監督スティーヴ・マックィーン。その長編初監督作『Hunger』(08)で、カンヌ国際映画祭カメラドールほか、あらゆる賞を受賞。2作目として煽情的なテーマが論議を呼んだ『SHAME -シェイム-』(11)でも、ヴェネチア国際映画祭国際批評家連盟賞受賞のほか、多くの賞に輝き、映画界に挑戦状を叩きつけたこの男は、実は彫刻家・写真家としてアート界ではその名を知られていた。1999年には優れた現代アートに贈られるターナー賞®を受賞、彼の作品はテート美術館、ニューヨーク近代美術館、ポンピドゥ・センターなど世界中の美術館で展示されてきた。
「ブラッドが参加しなかったら、この映画は製作されなかったと思う」とマックィーンは語る。「彼はプロデューサーとして、全力で僕たちを支援してくれたし、俳優としては、数分登場しただけで誰よりも多くのことを伝えることができるから、本作ではソロモンにとって重要な役を演じてもらった。ブラッドとプランBプロダクションズにはとても感謝している」
マックィーンは、ソロモン役にキウェテル・イジョフォーの名前が挙がった時、直感的に彼だと確信したという。「ずっと前から彼の演技には注目していて、僕らが必要としていた要素をすべて持っていると分かっていた。イジョフォーには高潔さがあり、誠実さと慎みを持っている。これは全てソロモンを表現するのに欠かせない性質だったんだ」
イジョフォーはこの役柄のオファーを受けた時、責任のあまりの重さに畏怖の念を感じたという。しかしそんな彼を導いたのは、ひとえに“今この時代にこの物語を伝える事の重要性”だった。「この心の試練の旅は途方もない挑戦だ。ソロモンは世界の歴史の中でも最も過酷な社会に投げ込まれ、それでも精神は健全なまま生き延びた。決して屈しなかった。そんな彼の物語は、時代を超えて僕たちの琴線に触れるんだよ」
一方、「奴隷の心を壊す」側の奴隷主エップスを演じたのは、マイケル・ファスベンダーだ。実在のエップスは言語道断な行為で悪評高く、回顧録では「冷淡で下品、教育の利点を活かしたことがない」と記されている男だが、ファスベンダーは、エップスを単に意地の悪い男としてではなく、心の中で苦悩し、世界は自分を敵視していると考え、奴隷を鞭打つことで心の均衡を保つ、弱さと冷酷さの両方を備えた男に仕立て上げた。さらにそこに、パッツィーへの矛盾した愛が加わる。エップスはパッツィーにのめり込んでいくが、それを自分で理解できずにいる。ファスベンダーは、この人物の慈悲の欠如をマックィーンと一緒に掘り下げていった。監督は三度目のタッグとなる彼をこう称する。「彼は、まぎれもない名優だ」
この気鋭監督が手掛ける衝撃作への出演を熱望したのは、今の映画界でも最旬な俳優たちだ。ソロモンの最初の所有者フォードを演じるのは、今世界中が最も注目している俳優といっても過言ではないベネディクト・カンバーバッチ。フォードは牧師で、奴隷制がキリスト教徒の道徳に相反していることを理解しているが、いくら優しく振る舞っても、基本的には奴隷制を支持している。そんな彼の、人道的である反面、弱さも隠せない二面性を、カンバーバッチは演じ上げる。
また、フォードの農園を監督する大工ティビーツを演じるのは、いま気鋭のクリエイターたちがこぞって起用をしたがる個性派俳優ポール・ダノ。ティビッツは無知で短気で意地が悪く、白人にも評価されず、奴隷からも尊敬されない男であり、ダノにとってこの独裁的な男に感情移入するのは、ぞっとする経験だったという。「いつも新しい役にはワクワクする。でも今回ばかりは、最初に脚本を読んで正直気が遠くなった。全く共感し得ない役に取り組むにあたり、極力彼を一面的に捉えず、何故そんな人間になってしまったのかを監督と分析していった。その結果、僕らはティビッツを、父親から虐待された男なんだと想像することにしたんだよ」
そして今回の配役の中で、もっとも大抜擢と言えるのがエップスに耐えがたいほど性的に執着される奴隷パッツィーを演じたルピタ・ニョンゴだ。メキシコ生まれのケニア育ちで、イエール大学映画科卒。1000人以上のオーディションからマックィーン監督に見出され、本作が長編映画デビュー作となるシンデレラガールだ。監督は「オーディションでのルピタは輝いていた。彼女には脆さと力強さがある。彼女の存在感の前では、自分がすごく小さく思えたよ」と語っている。彼女はこの長編映画初出演作で、そうそうたる映画賞の助演女優賞候補として名を連ねており、いまあらゆるデザイナー達が自社ブランドのドレスを彼女に着せるための争奪戦を繰り広げているという、今後の動向が楽しみな期待の新星である。
本作で間違いなく脳裏に焼きつく強烈なシーンが2つある。ソロモンが木から吊られたまま何時間も放置され、その背景で子供たちが遊び戯れているという背筋が凍るようなリンチシーンと、パッツィーが鞭打たれるシーンだ。これらの場面に関して監督は語る。「手加減はしない。ソロモンが目撃した全てを出来る限りリアルに表現したかった。観客に衝撃を与えるのが狙いじゃない。そんなことに興味はない。この物語を責任をもって伝えることだけを考えていた」
美術のアダム・ストックハウゼンが心血を注ぎ再現した、1840年代のルイジアナの大農園。エップスの農園には1846年に建造されたルイジアナ州ヴァチェリーのフェリシティ農園、フォードの農園には1858年に建設されたシュリーヴァーのマグノリア農園、エップスの「綿操り工場」には1787年に建設されミシシッピ南部最古の農園デストレーアンが使われ、当時さながらの匂い、容赦ない暑さ、群れをなす虫、悪臭を放つ湿地帯の中で撮影は行われた。
撮影のショーン・ボビットは、クローズインとロングのカメラワークを駆使し、連続ショットによる緊張感を演出。「映像的トリックは必要ない。カメラは観客に目撃する機会を与えるためにあるんだ」と語るボビットは、ソロモンの首吊りやパッツィーの鞭打ちという、実にショッキングな出来事を、できる限り近くで撮るように心掛けた。首吊りシーンは、いくつかのショットで撮影し、緊迫感が増していくように編集され、対照的にパッツィーのシーンは、ロングのシングルテイクで撮影。ボビットは元戦争ジャーナリストとして、常にカメラを自分で操作する。これによって、観客は恐ろしい出来事に参加しているような臨場感を持つ。「ここはノーカットで撮ることに決めた。その結果、観客はリアルタイムで登場人物と生きざるを得なくなる。願わくば目の前で起きていることの狂気を感じてほしい」とボビットは語る。
数十年にわたるキャリアを持つパトリシア・ノリスが手掛けた衣装は、尋常ではない細部へのこだわりに満ちている。奴隷たちの服について殆ど情報がない中、彼女は膨大な資料を調べつくし、アイデンティティーを奪われても微妙に残っていたはずのアフリカの色合いも組み入れながら推量して作り上げた衣装に、それぞれの役柄が属したプランテーションの土を擦り込んでいったという。ソロモンの衣装には、彼が経験する変化が反映された。19世紀のニューヨーカーの洗練された服装から始まり、その後の12年間は文字通り血と汗と涙で汚れていく。またエップス夫妻の衣装は、本性を隠し上品ぶった装いを目指した。夫人のドレスはイギリスから取り寄せたもので、エップスの衣装は少し誇張して女性らしさのある雰囲気に仕立ててある。
音楽のハンス・ジマーは、ソロモンを取り巻く自然に音楽を調和させた。「僕の作品は斬新な電子サウンドをベースにすることが多いが、この映画では伝統的な楽器を使うことが大切だと思った。弦楽器や木管楽器をベースにし、あちこちにパーカッションを加えている。何か特定の文化に結び付いたものではなく、もっとヒューマニスティックな音楽を狙ったんだ」
さらに、映画全編を通して変化し続ける“ソロモンのテーマ”を作曲。ソロモンと同じように、音楽も様々な色合いや雰囲気を帯びて変化していく。「スティーヴや俳優たちがやり遂げたことは、慎ましい方法で偉大な物語を伝えるということだ。『慎ましい』という表現は、僕が言える最大の賛辞だよ。その慎ましさのおかげで、観客は深く物語に入り込むことができるのだから」